出動(二)

 三日目辺りになってから、陸地に近づいたらしく海鳥の姿が見え始め、やがて薄い板を並べたような帆を張った支那ジャンク(※1)や、櫓を向こうに押してこぐ漁船などがちらほら見えてきた。この頃はもうすっかり船内は夏のような暑さで、兵隊たちはみんな甲板へ出て涼をとらなければならなくなった。僅か四日くらいの船旅でこうも温度が違うところまで来たことがまるで夢のようだった。

雨の振り出した日に、台湾の北端の山々が見え始め、程なく基隆港外に到着した。防波堤には外海の波濤がぶつかり、ものすごい飛沫を上げている。ここで駆逐艦の一隻は、右方へ舵をとって甲高い汽笛の音を残して船団と別れていった。おそらく高雄辺りへ直行したか、内地へ帰ったのだろう。そして残った駆逐艦の一隻が先導して、船団は一隻づつ狭い港口を通って港内へ入っていった。そこには陸軍旗をマストの頂上に掲げた貨物船や客船が無数に停泊していた。俺たちの隆南丸もその中に投錨したが、岸壁まではかなり遠いらしい。

 一夜明けると、今度はすばらしい晴天であった。周囲の山々は青々と樹木が茂り、名も知らない紅い花が所々に見られ、日傘をさした女の姿も一際眩しく見えた。雪の降っていた内地と比べ、余りに違いすぎる光景にまたまた夢を見ているのではないかと目を疑いたくなるくらいだった。

 ここで各部隊ごとに半数づつ二日間洗濯上陸を許された。街の中にある銭湯を開放して入浴をしたり、洗濯をしたり、街の婦人会からお菓子の接待もあった。入浴は名古屋の廠舎を出て以来だけに、全く文字通り命の洗濯だった。

 基隆の街はまったく支那人街で、大きな商店が軒を並べているが、その店の前が通路になっていて、雨が降っても傘無しで歩ける。越後の街の雁木通りと同じだ。商品は余り豊富ではないが、バナナ、パイナップル、砂糖キビなどがふんだんにあった。

 ここへ先発してきていた岩本軍曹が、スケッチブックを持っていて、綺麗に台湾風景を書いていた。俺も早速真似をしたくなり、文房具店で貧弱なスケッチブックと色鉛筆を買って船内でスケッチを始めた。これ以来、変わった風景や風俗をスケッチし続けてきたが、残念なことに最後の引き上げのとき、連合軍に取り上げられるというので全部焼いてしまった。

※1:中国およびその周辺特有の船の総称。特に中国の小型帆船は有名。

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