ジャワ島上陸(二)

 ジャワ島は赤道の南で、日本内地とは夏冬反対だが、時間はほぼ同じで、五時ごろにはほのぼのと明るくなる。そのころ、我々も小発に乗っていよいよ敵地に乗り込む段になった。船腹を縄梯子に伝わって降りる訓練は航海中にやっていたので、大体のコツは分かっているつもりだったが、さて重い装備を付けて実際にやってみると、ぶらんぶらんと揺れている梯子を降りるのには一汗かかされた。それでも落ちた者も無く、予定通りに小発に移乗して、一直線に陸地に向かって走り出した。兵隊たちは、膝の上まで塩水に浸かりながらものんきに話しをしながらゆっくりと上陸した。

 そこは一面の椰子林で、既に上陸した部隊の兵が大勢あっちこっちで休んでいた。我々も適当な場所に一塊になって休んでいるうち、すっかり夜は開け放たれ、まばゆいような熱帯の太陽がギラギラと照りつけ始めた。そうなってみると、あっちにもこっちにも名も知れぬ赤い花が咲き乱れているのが見られ、虫の声も賑やかで、全くの楽園に来た感じだった。もしこれが敵との交戦しながらの上陸だったら、あるいはもう海の底に沈められてしまっていたかもしれないと思うと、ゾッとした。

 そのころになったら、船団はぐっと海岸線近くに侵入してきて、一斉に積荷の陸揚げを開始した。船団の上には、我が戦闘機隊が乱舞して敵機を警戒していた。車両や兵器、弾薬などを満載した大発が続々と砂浜に乗り付けては陸揚げをしていたが、そのうちの一隻に、二、三十名もの外人船員らしいずぶ濡れの男たちが乗っていた。よく見ると、みんな鬚無邪の白人で、紺色の作業衣に、同じ色の救命胴衣をつけているだけで携帯品は何も無く、殆どが素足で、中にはかなり酷い怪我をして仲間の肩を借りているものもあった。

 彼らは砂浜に上がると、一塊になって座らされ、その周りを着剣した友軍兵が取り巻いていた。誰もがこれを見て、てっきり我が海軍に撃沈された敵貨物船の船員だろうと思ったが、誰からともなくその男達は昨夜のバンタム湾上陸の、我が方の主力艦隊と交戦し、沈められた米巡洋艦ヒューストンの乗組員だということが伝えられた。これが世界に誇る米海軍の軍人かと思われるような、むさ苦しい男ばかりなのにはまったく驚いてしまった。

 彼らの中には、毛むくじゃらな腕から海水に濡れたがかなり上等らしい腕時計を外し、煙草と交換しようと取り巻きの日本兵に、手招きで哀願してくるものもいたが、誰も薄気味悪がって応じようとはしなかった。しかし、その表情には、概して楽天的なものがあって、悲惨な捕虜という感じは無かった。あの頃でも、最後は俺たちの勝ちになるのだといった面構えが伺われた。

 彼等とて、何も好き好んで戦争に来たわけではないだろう。やはり国家の権力によって召集されているに違いないと思うと、反感どころか、むしろ同情さえ感じられた。その後、ジャワ島を進撃中に、丸裸に近い体に、日本軍団の地下足袋などを履かされ、リヤカーに荷物を乗せて歩いている姿を見たとき、一層哀れみの情を深くした。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

次のHTML タグと属性が使えます: <a href="" title=""> <abbr title=""> <acronym title=""> <b> <blockquote cite=""> <cite> <code> <del datetime=""> <em> <i> <q cite=""> <strike> <strong>