車両や機材の陸揚げが終わり、部隊を整えて行動を起こしたのは夕方だった。敵は敗走してしまって姿を見せなかったが、どこで不意打ちを食らうか分からないので、一応銃に弾丸を込めて、全員車上の人となった。
戦闘部隊に続いて、この方面の「ホイテンブルグ」ジャワ名「ボゴール」に向かった。しばらく走ったとき、前方に赤、黄、青、色とりどりの派手な服装をした土地の人が大勢いるのが見えたので、これはてっきり土地の娘たちが総出で行軍を歓迎しているものとばかり思ったが、近づいてみると、何とそれは全部屈強な男ばかりで、派手に見えたのは腰に巻いている「サロン」だった。この地方の人々は、男女、老若、子供にいたるまで、腰に派手な布地を巻きつけている。面白いことには、女は日本人の腰巻のように一枚の布を横で合わせているが、男は筒型に縫い合わせてあって、普通は腰に巻いているが、少し活動するときはこれを肩から斜めにかけたり、時には頭に鉢巻みたいに巻きつけたりしている。
沿道に出た男達は、みな右手親指を突き出して口々に何か怒鳴って歓迎の意を表していた。しかし、異国の軍隊を迎えるので、警戒心は解いていないらしく、女と思われるものは一人も姿を見せなかった。部落に入ると、一層大勢の人が集まっていたが、やはり女は家の中にでも隠れているのか、さっぱり見られなかった。
初めて女を見たのは、その翌日あたりで、部隊が路傍で小休止をしているとき、どこからか子供を抱いて泣きながら、二十二、三才ぐらいの女がやってきて、しきりに何か訴えている。腹が減っているのだろうと誰かが飯盒の蓋で飯をやったが、頭を振って食べなかった。そしてまたどこへともなく行ってしまった。
上陸第一日目の夜は、道路に面した部落の中で、自動車に乗って仮眠することになった。敵の姿は無くとも、異国の夜は何となく不気味だった。その上、遥か前線とおぼしい方向から、遠雷のような砲声が轟いてきた。隊長櫃間中尉以下、僅か二十名そこそこの部隊では一層心細い。しかし、戦争の悲惨さを未だ一度も経験していない連中ばかりだったので、いたって朗らかなものだった。
土地の人々は姿を消して、誰一人姿を見せなかった。不寝番の割り当てで、何か不満でもあったのか、分隊長心得の円谷兵長が文句を言って隊長に叱られるという一幕があった。