ソロモン群島進駐(一)

 昭和十七年十月初旬、我々はジャワ島の首都バタビアの近くの港、タンジョンブリョクで、輸送船ブリスベン丸(五千トン)に乗船した。タンジョンブリョク港には、上陸作戦のとき、敵艦ヒューストンの魚雷を受けて沈没した我が方の輸送船数隻が、赤い腹を見せて醜く横たわっていた。今度はわずか四、五隻の輸送船に、護衛の駆潜艇二隻といういたってこじんまりした船団だったが、速力はずっと早く、十四ノットくらいとのことだった。

 一日くらい走って、ジャワ島東端のスラバヤ港に入港した。ここも我が軍の別働隊が上陸したところで、埠頭はだいぶ荒れていて、砂糖の袋詰めが倉庫の焼け跡に野積みされて、痛ましい姿をさらしていた。ここには沈船は無く、港の水は濁っていた。ここでは若干の食料を積み込んだだけですぐに出港し、西南太平洋へ向かった。まだどこへ行くのか一向に聞かされなかった。航海中にブリスベンが故障して船団を離れたので、恐ろしく心細い思いをしたが、何事も無く間もなく追いつくことが出来た。

 一週間ほどの航海で、船はラバウル港に入った。ここは、我が西南太平洋前線最大の基地で、多数の艦船が港内に停泊し、陸上には飛行場が数箇所あって、友軍機が飛び回っていた。

「ここからはいくらも遠くないガダルカナルでは、彼我の上陸部隊が死闘を繰り返しており、これを奪取出来るかどうかが太平洋戦線の関ヶ原だ。我々は死ぬことはいと容易いが、決して死を急いではならない。最後の一瞬まで一人でも多くの敵を殺すことを考えなければならぬ。」

という意味の師団長閣下の訓辞を伝えられ、急に戦争が身近に迫った感じで、心が引き締まる思いだった。そんな時、暑い日盛りだったが、急に甲板上の高射砲が吼え出したので、何事と甲板へ出てみると、遥か上空を四発の敵機がただ一機、白い尾を引いて飛んでいた。それを狙って撃っているらしかったが、届くはずも無く、たちまち飛び去ってしまった。おそらく偵察のための高空通過だろう。これで敵地近くやってきたことが、ヒシヒシと感じられ、心を締め付けた。

 間もなくラバウル港を出て、厳重な警戒を続けながら、ソロモン海域を進み、一昼夜の航海でブーゲンビル島のヴエン地区に入った。ここは南の海岸線で、前にはショウトランド島があり、そこに海軍の飛行場が数箇所あって、連合艦隊の一部も停泊していた。その堂々たる威容の空母と戦艦、飛行場を飛び立つ零式戦闘機の軽快な姿が我々に安堵を与えたが、間もなくこの艦隊も、何処へともなく姿を消してしまい。以後再び見ることが出来なかった。

 ここはまったくの無風地帯で、大小無数の島々には、うっそうと熱帯樹が茂り、波打ち際まで木の枝が伸びていて、少し離れるとまるで海中に木が生えているように見えた。一夜を船で明かしていよいよ二度目の上陸だ。ここにはまだ敵はいないが、人跡未踏のジャングル地帯、一足踏み込めば何がいるかわからないという薄気味悪いところだ。

 上陸した後は、各人の携帯天幕をつなぎ合わせて仮小屋を作り、その中に一塊になって寝たのはいいが、夜半にものすごい豪雨がやってきて、何もかもびしょ濡れになってしまった。その上真っ暗な中でなにやら首筋をモソモソ這うような気配、手をやったとたんに飛び上がるほどの痛みを感じた。どうやらサソリにやられたらしいが、その痛みは一日取れなかった。

 翌日には早速天幕を低く、地面にくっつけて張り、やっと潜り込むようにしたら、どうやら雨だけは凌げた。一番困ったことは、沼に水はいくらでもあるが、海に近すぎるため塩気があることだ。砂を掘ってもすぐに水は出るが、ヌルリとした味でしょっぱい。更にあっちこっちから板切れや天幕の廃品などを集めて小屋を立て、その中に将校以下雑魚寝するという生活が始まった。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

次のHTML タグと属性が使えます: <a href="" title=""> <abbr title=""> <acronym title=""> <b> <blockquote cite=""> <cite> <code> <del datetime=""> <em> <i> <q cite=""> <strike> <strong>