雲南作戦(一)

 昭和十九年八月、いよいよ戦局は我が方に利在らず、南太平洋でも、印緬国境でもジリジリ圧迫されて後退を続けた。内地さえも連日の空襲を受けるようになったらしいという情報も伝えられた。そんな最中、今度はビルマの奥地、支那との国境方面に警備に当っている我が方の部隊にも危機が迫ってきたというので、インパール作戦の残留部隊は、そちらへ救援作戦を敢行することになった。

 これまでは、自動車に依存して移動していたが、今度は山岳戦になるというので、各部隊に馬が配属された。当部隊にも、内地からの老朽馬と現地徴発の小柄な支那馬が十数頭配置され、新たに内堀准尉を長とする馬部隊が編成された。そして、連日の土砂降りをおかして、馬の貨車積みを行い、遥かビルマの北端まで運んだ。途中行軍もかなりあったが、何しろ慣れない馬の旅では荷物が多過ぎて、馬も人間も疲労が甚だしい。そこで余分な荷物全部を纏めて汽車に積み、ラシヲへ先行するために、山口二等兵と俺がまた汽車に乗り込んだ。

 この汽車は、薪を炊いて走るので、機関車は馬鹿に大きいが、速力はあまり出ず、客車も木の椅子でスプリングは固く、まるで貨車に乗っているようだった。それでも、一週間以上もろくに眠らない行軍の後だったから、すっかり眠りこけてしまった。。終点ラシヲに到着したのは未明だったが、灯火管制が徹底していて駅は真っ暗だった。急いで装具を身につけたところ、いやに腰が軽いので、ふと見ると帯剣の中身が無い。列車で外して棚に載せておいた間に抜けてしまったか、それとも他所の兵隊に抜かれたか、いずれにしろ兵士の魂とも言うべき帯剣を無くした事は、穏やかには済まないことになったと一時はまったく途方にくれた。しかし、暗闇の中で探すにも探されず、また多くの装備を預かっているので、ぐずぐずしているわけにもいかず、すぐに定期便のトラックに便乗して、先着している部隊に行き、その旨を櫃間中尉に報告した。どんな処分を受けるかと思ってビクビクしていたが、

「戦争に行くというのに剣を無くすとは。」

と一言いわれただけで終わった。そして、古い連中から、

「こんな時に、帯剣くらいどこででも手に入るからビクビクすることは無いよ。」

と励まされ、我ながら妙な気持ちだったが、果たして、その古参兵が翌日自動車で連絡に出て帰ってきたとき、

「拾ってきたよ。」

と言ってあっさり帯剣をよこした。元通り帯剣が腰にぶら下がってほっとした。これがもし、平時の出来事だったら、目の眩むほど殴られた上、営倉くらいは喰らうところだった。

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