東海道に入っても、殆ど都市という都市は全滅の状態だった。特に京浜地区へ入ると、見渡す限り焼けた鉄屑とトタン板ばかり、六郷橋を渡ると、遮るものがないので、もう宮城の森がすぐそこに見える有様だ。その中に点々と焼けトタンでふいたバラックが連なっていた。それでも鉄道は殆ど無傷で、車両数は相当動いているのでホッとした。列車が東京駅へ入ったので、全部乗り換えた。何よりもまず、元の職場に復することが出来るかどうかが一番心配になったので、すぐ駅前の交番へ行き、そこで勤務していた若い巡査に様子を聞いてみると、復員者は全部元の所属へ出頭して勤務するようになっているということでホッとした。服装は戦前と同じでサーべルを吊るしていたが、ひどく食糧事情が悪いらしく、顔色も悪く、ブツブツ不平を洩らしていた。
再び駅へ戻り、八王子までの切符を買うのかと思って聞いてみたら、復員者はその切符でいいというので、すぐに中央線の電車に乗り込んだ。車中で時々、どちらからの復員かと聞かれたが、その相手は大抵、中年の婦人で、おそらく自分の夫か息子かが未復員なので、それとなくどの方面からの復員者かをあたってみて、同じ方面からだったら、様子を聞きたいという気持ちがあるからだろうと思われた。
八王子へ近づいて、今度は逆に驚いたことは、丸焼けといわれた町がすっかり屋根で埋まっているようにみえたからだ。ここは東京と違い、殆ど土着の人で、疎開もせずにいて焼けだされたので、既にこのようにバラックができたものだろうと思った。しかし、電車から降りて、一歩町へ踏み入れてみると、駅を始めまったくの間に、間に合わせに出来たバラックばかりで、応召前の姿はどこにもなく、まるで違う土地へ来た感じで、すっかり戸惑ってしまった。駅前には、元の場所に交番が出来ていて、巡査が勤務していたので立ち寄り、身分を証して警察の模様を聞いてみると、本署の建物は残っているというので、ホッとした。そこへ荷物を預けて、歩いて署まで行ってみると、なるほどすっかり焼けてしまった中に、署だけがポツンと残り、すすけた姿が、戦災当時の火の恐ろしさを物語っていた。