終わりに

※本編をまだ読んでいない方はこちらからどうぞ。

従軍記はこれでおしまいです。

祖父は帰国後、三女をもうけ、平成四年一月十六日、享年七十八歳で亡くなりました。

生前はお酒好きで寡黙で几帳面な人というイメージしかありませんでした。戦争に関しても、「マラリアで死ぬ思いをした」ということしか聞いてなかったので、それで帰国したのかなぐらいに思っていました。まさか砲撃を掻い潜るような体験をしていたとは知りませんでした。

全体を通して戦争が日常の延長にあることを強く意識させられました。それだけにあれだけ大変な目にあっておいて、「もう戦争はこりごり」が感想というのも強く共感させられました。

この従軍記のブログ化は原本をまとめおこした父をはじめ、母にも大分手伝ってもらい、感謝しています。

最後にここまで長々と読んで頂いてありがとうございます。従軍記というと私達とは関係の無い遠い昔の出来事のように思ってしまいますが、昭和十六年にブログがあったらこんな感じなんじゃないだろうかという具合に、気楽に読んでいただけたら幸いです。

終わりに」への23件のフィードバック

  1. 土下信人

    読ませていただきました。

    雲南の戦争を調べていましたら
    ここを見つけ・・・・

    淡々とした 書かれている中に
    戦争というものの ひどさを
    感じました。

    『戦争がこりごりだ』という
    最後の言葉に 感動しました。

    とても、素敵なブログだと思います。
    ありがとう
    土下信人

    返信
  2. 宝飯爺

    読ませていただきました。
    お爺さまが無事に復員された事は
    運が味方したかもしれませんね。
    とても興味深く読ませて頂きました。ありがとうございました。
    沢山の人に読んで貰いたいものです。

    返信
  3. SAYA

    「大東亜戦争従軍記」よませていただきました。
    インドネシアの空気を感じながらイメージしながらとても興味深かったです。
    映画のようにシナリオ味付けされたものにない生の戦争記録を
    味和ながら一気に読んでしまいました。
    貴重なお話をご紹介くださいありがとうです。

    返信
  4. 万年上等兵

    このブログ、娘よりメールで送られて来て拝見、未だ拾い読みしただけですが興味津々、
    小生昭和14年12月1日高崎15聯隊に入隊、同10日出発、広島の民家に5泊して20日上海飯田桟橋に上陸、22日には第一線に配備され、以来6年7か月、泰のバンコクより米国の船で帰還しました。
    私も毎日日記をつけて居りましたが、英軍の身体検査があるので、書き物は全部償却、と言う命令で仕方無く、日時、地名、要点を別紙に書き写し、紙縒りにして捕縄(荷縄)の中に綯い込んで持ち帰りました、今では貴重な資料となりました。ベトナムの仏軍の武装解除して、ビンと言う街で敗戦を知り、プノンペンにも居りました。日本負ける、と早くから断言していたので、反軍思想、危険思想のレッテルを貼られ、進級ストップそれだけに言いたい放題、やりたい放題、思えば面白い軍隊生活でした。あなたのブログ、じっくり読ませて頂きます。

    返信
  5. 万年上等兵

    小生、昭和14年12年1日現役入隊、同22日上海上陸、爾来中支、南支、ベトナムに転戦6年7か月、
    ベトナムのヴインにて敗戦を知り
    泰国ナコンナヨークより帰還。
    6年余毎日日記を書いていたが、帰国時英軍の検査があるので、書き物全て償却せよとの命令。
    そこで薄葉別紙に年月日、地名、要点だけを細字で書き換え、荷縄の芯に綯いこんで持参、今では貴重な資料ですが、発表しては差し障りのある方もあり、死蔵して居ります。ベトナムのプノンベンなど懐かしい地名に一筆、書かでものがなを書きました。

    返信
  6. 万年上等兵

    興味深く読ませて頂きました。
    小生昭和14年12月1日高崎15聯隊に入隊、同22日には中支戦線に配備され、以来6年余、南支、仏印に転戦タイ国を経て帰国しました。
    私も7年間日記を付けて居りましたが、帰国時英軍の検査が有るので書き物は全て処分するよう命令されましたが、私は別紙に細かく年月日、地名、戦死、負傷者名、要点を記載し、紙縒りに縁って荷縄の芯に綯いこみ持ち帰りました。今では聯隊の行動を知る貴重な資料となりました。ベトナムのプノンペンには私も居た事があり、生存中のお爺さまとお話して見たかったです。ベトナムの仏軍武装解除には、或いは一緒になって働いたのかも知れません。私は早くから日本負ける、と断言していたので、反戦反軍思想者として赤に見なされ、進級はストップされました。有難うご座いました。

    返信
  7. 山崎

    貴重な手記のご公開ありがとうございます。
    全て読ませていただき、そして感動いたしました。
    今ある命も平和も、この世代の方々が命をかけて乗り越えてきたからと思うと、日々を大切にしなくてはいけないと気が引き締まります。

    返信
  8. roku

    終戦記念日ということで亡くなった祖父のことを思い出し、祖母からきいた中支、南支、仏印をキーワードにこちらにたどりつきました。祖父は昭和15年1月に台湾高雄港より出征しました。仏印で終戦を迎えたようです。祖父からは戦争の体験をきくことはなかったのですが祖母からは現在でも当時の話をききます。以前はあまり興味がなかったのですが最近になってできるだけ当時のことをきいておきたいと思うようになりました。貴重な手記をありがとうございました。

    返信
  9. proteus

    興味深い内容に引き込まれ、一気に読破してしまいました。
    映画や小説では、特攻隊の描写など、戦時中の日本人は狂気の生き物として描かれていることが多いですが、こちらの手記を読んで、派遣先によって軍人のテンションは違うものだということがわかりました。
    時には上司に反発し、ときには欲をむき出しにし、逃げるときは逃げる。今の我々とそう違わない、と。
    でも、そのことが逆に、別世界の人間として描きすぎる映画なんかよりも、よほど身近なものに感じさせ、戦争の生々しさを強く印象付けることとなり、結果として非常に内容の濃い戦争文学になっているように思います。
    最後に復員してきて平和をかみしめる辺りでは、あたかも自分が体験したかのような錯覚に陥り、深く深く共感いたしました。
    すばらしい読み物をありがとうございました。

    返信
  10. anan

    ビルマに従軍していた父の足取りを知りたく検索していて、
    このブログに行きつきました。

    庶民が戦争に巻き込まれる経緯、すなわちあなた様が
    お書きになったように、「戦争が日常の延長にある。」
    ことがよく分かります。

    淡々とした語り口が、よりいっそう戦争の悲惨さ、不条理を
    気付かせてくれます。とても上等な読み物で、一気に読みました。

    父は昭和18年に召集され、昭和23年に戻りました。
    昭和58年に68歳で亡くなりましたが、生前従軍中のことは話さず、
    ただ「どんなことがあっても、戦争はいけない。」と繰り返していました。

    理由は語りませんでしたが、恩給は請求しませんでした。
    「そんなものでだまされないぞ」という気持ちだったのかも知れません。

    今ミャンマーは政情不安ですが、落ち着いたら、父の行った場所を
    訪れてみたいと思っています。

    貴重な手記の公開ありがとうございました。

    返信
  11. じゅん

    友人の変わった名字の由来の検索をしているときに、偶然迷い込みました。
    とても興味をひかれ、一気に読破してしまいました。

    生前に祖父から、凄惨な戦争の現場の話を聞いていたのですが
    それとは別の、ものすごく素直な身近に感じる手記で、
    こんな戦争の一面もあったのだと驚きました。

    とても貴重な資料であり、当時を想像し感動しました。
    読むことができたことに深く感謝します。

    返信
  12. 西中

    読ませていただきました。
    とても詳しく、とても読みやすかったので一気に読んでしまいました。

    今のこの平和な日本からはではとても考えられません。
    やはり戦争は嫌ですね。

    本当に感動しました。
    ありがとうございました。

    返信
  13. REP

    現在カンボジアに住んでおり、ここでの日本軍や大戦時のことを調べていてこのブログに辿り着きました。

    文体が大変読み易かったのですが、自分の資料と照らし合わせながら読み進んでいたので、数日に別け、行きつ、戻りつしながら読破致しました。

    ベトナムの状況や、プノンペンでの事などは大変興味深く、またご帰国後のくだりでは、感情移入してしまいました。

    ありがとうございました。

    返信
  14. 廣瀬 琇一

    大急ぎで読ませてもらいました。ありがとうございます。
    小生の父がご祖父様と同じように応召従軍しジャワ島上陸の後バンドンの兵器廠にいたようなのですが、何も記録がのこっていません。
    1947年に復員するまで、オランダ軍の捕虜だった様なのですがこれも1枚の英文の感謝状メモがあるだけです。
    父の記録を探しており参考になりました。

    返信
  15. 廣瀬 琇一

    P/S
    父に赤紙が来たのが、1941年10月の上旬のようです。
    10月19日に親戚の送別会が自宅であり、22日に散髪をし、翌日入隊、
    10月27日に第1回の家族面会がありました。自宅が同じ東京(市)ですから
    自宅から直接入隊だったようです。
    その後広島辺りから輸送船で台湾に行きそこで暫く訓練、直接ジャワ島に向かって3月1日に敵前上陸をしたとのことです。父の話で感心したのは、全員
    台湾で自動車の運転を習い、キーの無い車の動かし方を指導され、これは敵の放置車で歩兵が追走する為だったといってたのが記憶にのこってます。日本軍では優れた発送だと思いました。祖父上様と同じ時期に同じ暗黒の海にいて、同じようにバンドンの町を占領していたようです。

    返信
  16. 北原

    初めまして。熊本在住、53歳の北原と申します。
    ハンドルネームを使うのは、文面から察するに、必要無しと確信した次第です。
    大変貴重な日記を公開して下さいました事に感謝申し上げます。
    こちらに行き着けましたのは、「大東亜戦争 目的」で検索した結果でした。
    一言で感想を表しますと「日本人で良かった!」です。
    この日記以上に誠実で実直な従軍記を私は知りません。
    できる事ならケーブルTVのナショナルジオグラフィックチャンネルのような形で、
    再現した映像を視聴してみたいものです。
    歴史教科書が変わるきっかけになるかもです。

    返信
  17. なお

    興味深く拝読させて頂きました。
    私は現在、21歳で祖父が南方に行っていたと聞いています。
    そんな祖父も私が19歳の時に、89歳で亡くなりました。
    私はかなりお爺ちゃんっ子で、幼い頃からポツポツと当時の話を聞かされていました。
    幼い私には恐ろしくおっかない話だったのですが、いつしか祖父が体験したことを記録したいと思っていたのです。
    しかし、祖父は多くを語ろうとしませんでした。
    戦場に無惨な死体が転がっていたこと。
    通信兵だったこと。
    体調を崩し(たしか赤痢かマラリアだったと記憶しています。)、病院に収容された際、まわりの病兵達が次々に亡くなっていったこと。
    珍しく白い蝶々があらわれ、追い払っても追い払っても自分にまとわりついてきたのだが、その蝶々は戦地にいる間に亡くなった妹が蝶になって現れたと信じている話。
    引き揚げの際、着るものがなく粗末な布に穴をあけそれを頭から被って生家まで帰ってきた話。
    全ての話が点でしかありませんでしたが、祖父も似たような境遇にあったのかも知れないと思うと、それらの点でしかなかった話がうっすら線で結ばれた気がします。
    祖父の口から話を聞けなかったことが心残りだったので、読み終わった後は感無量でした。
    本当に、ブログにおこして頂きありがとうございます。
    お爺様が無事で、本当によかったですね。
    この出会いに感謝しながら、久しぶりに祖父のお墓参りに行きたいと思います。

    返信
  18. 高橋

    とても貴重なお話を読ませて頂きました。

    お祖父様、そしてブログを立ち上げて下さった貴方様やご両親に
    感謝しています。

    様々な物を見て勉強中ですが大東亜戦争の新しい一編が見えたのと同時に疑問も増えて
    更に勉強しようと思います。

    同じ時期でも配属先によって餓死も病死も脱水もない雲泥の差には本当に驚きました。

    それが故に面白いエピソードや平和な戦記等が読めて貴重だと思いました。

    本当にありがとうございました。

    返信
  19. 井上

    偶然このブログにたどり着き、興味深く拝読させていただきました。
    私の祖父は衛生兵として当地に従軍しておりました。
    満州、ガタルカナル、インパール作戦と悲惨な戦地を転戦したようです、なかでもインパールの戦況は悲惨極まるものだったと嗚咽をまじえ語っていた記憶があります。
    衛生兵であり一等兵であった祖父は、今文中に書かれた井上一等兵こそ私の祖父と感じながら読ませていただき
    ました。
    祖父が他界してから20年になりますが、衛生兵だったためか感謝を綴る戦友からの手紙など多数残されていました。
    ほろ酔いで「お座敷小唄」を歌った祖父ですが従軍中にも飲酒ができたとは意外でした。

    昨年、今年と宮城の地より靖国神社参拝に向かいました、何かといまだに問題にする国もありますが、私は家族と国のためと信じた英霊を誇りに思います、また祖父にも
    たいへん貴重な手記、ありがとうございました

    返信
  20. とも

    感動しました。
    戦争を体験した方は、亡くなられた方や遺族などへの配慮もあり、こういった記録を公にされない方が多いと思いますが、伝えなければ伝わらないものですから、とても貴重な記録と思います。
    私も完全に戦争を知らない世代です。
    体験もしてないので、そんな者にわかるか!と言われればそれまでですが、こう言った記録を後世に残す事で、戦争の残酷さを伝え、二度と起こしてはならないと伝える事は、当時犠牲になったかたも望まれている事ではないかと、大切な事だと考えます。
    お祖父様様の体験は、現地の人々の事や食べ物の事、また、兵の娯楽や叱られた事なども書かれておられ、すごく親しみを持って読ませていただいました。
    私事ですが現在20台後半。幼児の子供もおり、ちょうど、その頃のお祖父様お祖母様と同じ世代かと思いますが、自分と重ねてしまい、涙が出ました。

    返信
  21. jay

    全部読ませていただきました。
    ありがとうございます!
    『大東亜戦争』で検索して
    見つけました。

    生きて帰ってこられて
    本当に良かったですね。
    過去の事が全て消されつつある
    今日に、このような貴重な手記が
    残っていることに感謝したいです。

    今もまさに経済戦争(TPP)に
    飲み込まれようとしているかと
    思うと恐ろしくもあります。

    英霊と先人の苦労と努力に
    感謝しつつ、また
    この時代を乗り切る為の記録だと
    思いました。
    本当にありがとうございました。

    返信
  22. 青海白砂

    大変、貴重なお祖父様の従軍記を拝読させて頂きました。
    ありがとうございます。
    お祖父様と従軍された皆々様に感謝致します。
    日本人として、世界に恥じぬよう
    私も身を引き締めて生きて参りたいと感じました。

    返信
  23. とても貴重な従軍記、拝読させていただきました。
    私の祖父は戦争当時まだ小学生だったようで
    なかなか当時の詳しい状況などを知る術がありませんでした。
    この手記を読んで、戦地に赴いた方々の”人間らしい”感情当時の雰囲気などを
    肌身に感じる事が出来ました。
    今年で終戦から69年です。後10年もすると実際に戦争を体験した
    人は殆ど居なくなってしまうと思います。
    ですので、このような当時の状況を克明に記したものは
    未来永劫残していかなくてはならないと思いました。
    本当にありがとうございます。
    お祖父様のご冥福をお祈り致します。

    返信

青海白砂 にコメントする コメントをキャンセル

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

次のHTML タグと属性が使えます: <a href="" title=""> <abbr title=""> <acronym title=""> <b> <blockquote cite=""> <cite> <code> <del datetime=""> <em> <i> <q cite=""> <strike> <strong>