隣にいた衛生隊は全部引き払って乗船した。この時の船団は、佐渡丸以下快速を誇る新鋭輸送船十一隻に、多数の艦艇が護衛してガ島に上陸し、敵と対峙している友軍を助けて一気に島を奪還しようという雄大な作戦であったらしい。しかし、いよいよ明朝この船団がガ島海域に突入しようという日の昼頃、敵戦闘機隊の大挙来襲を受けて、殆ど全滅し、佐渡丸一隻だけが満身創痍の痛々しい姿でこの島へ戻ってきた。そして、それに収容されていた負傷兵をハバナ丸という貨物船に移して仮の病院とし、我が隊からも毎日何名かの衛生兵が手伝いに行った。
この頃は既に、敵はガ島飛行場にどんどん戦闘機隊を増強して、完全に制空権を握り、日本軍を一隻も寄せ付けない厳重な警戒ぶりだったのだ。さらに二日ほどした白昼、今度はこの舶地に敵機編隊が来襲し、停泊中の船に爆弾の雨を降らせた。佐渡丸は船首をやられ、しばらく走ったがついに横転、ハバナ丸は火災を起こし、すぐ目の前で焼け落ちてしまった。この船などは、敵機が去った後間もなく船橋の辺りからポヤポヤとうす煙が立ち始めたが、すぐに消し止めるだろうと思っていると、乗組員達は消火もせず、我先に下船してしまったので、みすみす六千トンもある船を焼いてしまった。それにしても、あの鉄だけで出来ていると思われた船が、きれいに燃え盛る光景は実に不思議なものだった。
この頃から次第に敵の空襲が激しくなり、、殆ど毎夜飛行場に来襲した。飛行場の周辺は我が軍の対空砲火の陣地と照空燈(※1)が無数にあって、来襲した敵機を照空燈で捕らえると、これに向かって曳光弾の一斉射撃を加える。実に勇壮で見事なものだったが、それにもひるまず真っ直ぐに突っ込んで来て、超低空で爆撃していく敵機搭乗員も相当な猛者だと思った。中には照空燈の光芒を浴びるとすぐに踵を返して逃げ去る者もあった。しかし、爆撃の都度、我が方の被害は加わる一方で、しまいには滑走路とは名ばかりで、飛行機も飛ばなくなってしまった。すると今度は、その周辺に駐留する部隊の爆撃を始め、不気味な照明弾を無数にばら撒いて、しきりにジャングルの上を飛び回る。こちらはみんな大木の下に小屋を作っているのだから、なかなか見つからないと見えて、弾は一発も落とされなかった。
しかし、寝ていてもいつやってくるかわからぬ敵機に怯えてよく眠れず、みんなノイローゼ気味になってしまった。そんなわけで、ただただ、雨の降ることを祈った。平和な時なら海岸へ出て唄でも唄いたいと思われるいい月が恨めしかった。こんな状態だから、ガ島で苦戦する友軍への補給も次第に困難になり、駆逐艦による補給もし、更には潜水艦まで使われたが、そんなものは雀の涙ほどでしかなかった。それさえも敵は執拗に爆撃を繰り返して、殆ど友軍の手に入らないということだった。それでも軍首脳部はこの地を棄てることは出来ず、無人島を開いては飛行場を作る計画を進め、我が隊からも使役兵を何名か出すことになった。幸いにもその頃俺は赤痢が治ったばかりだったのでその選に漏れて行かずに済んだ。使役にやられた連中の話だと、英印軍の捕虜を使ってロクな土木機械も無く、コツコツとスコップとモッコで地ならしをしていたということだった。そんな苦労をした飛行場も使い物にならないまま撤収してしまったのだ。
※1:サーチライトのこと