大東亜戦争従軍記

祖父の従軍記

ジャワ島上陸(二)

一ヶ月も経たない内に、バンドンの本隊からすぐに復帰するように命令が来て、大急ぎで装備をまとめ、ジョクジャカルタを後にした。そして進駐の時とは違う道路を通り、途中すごい峠などもあって、丸一日がかりでバンドンに到着したときは、トラック上の兵隊は、汗と埃にまみれ、まるで煤掃きの男のように目ばかり光っていた。

師団主力は南太平洋方面へ出動する準備をすっかり整えていたが、我々は、山内大尉、森川中尉を頭として一個中隊を形成し、目抜き通りにあるキリスト教の高等学校を宿舎として、このバンドン市内に残留することとなった。そんなわけで、櫃間中尉の小隊は、ジョクジャ組と本隊とに分けられることになり、残留の我々は大いに羨望の的になった。その夜は、本隊と送別の宴を張ったが、それまでの本隊の生活と、我々ジョクジャ組みのそれとはかなり違ったもので、我々のほうは、全ての点で恵まれていたようだった。

それからのバンドン駐留は更に贅沢な生活で、おそらく内地にいる人々などには想像も出来ないものだったと思う。そのころはもう内地では、食料も衣料もかなり貧窮していたらしいが、バンドンには、酒も甘味も衣類も実にふんだんで、しかも安かった。しかも殆どの日用品、嗜好品が下給されるので、下士官や将校は、かなり上等の時計やカメラなどを手に入れたようだった。俺もその真似をして、スイス製の提げ時計を買ったが、これは駄目だった。すぐに部品が壊れて動かなくなってしまい、飾り物になってしまった。それでもよく持ち続けて、最後に仏印在留中に土民に売って酒を飲んでしまった。