大東亜戦争従軍記

祖父の従軍記

ジャワ島上陸(五)

こうして極めて平穏な進撃を続け、三日後にはジャワ島西部の要衝「ボイテンゾルグ」に入った。ここは本隊の上陸したバニタハ湾からの本通りも通じていて、既に我が軍の諸部隊が入っていて、右往左往していた。建物などはオランダ風の洋館もある。立派な街で、戦争の跡もなく、原住民も平常通りに生活している風であった。

我々にとって一番珍しくて嬉しいものは、数々の果物だ。バナナ、マンステン、パパイア、パイナップル等内地で知られているものはもちろん、その他名も知らないものがたくさん街道で売られている。通貨は蘭印政府のものが通用しているが、我々には船内で既に軍票が渡されていた。それで結構果物くらいは買えたので、行く先々で十分食べられた。

ボイテンゾルグを出て、バンドンに向かったが、この辺りから戦禍が酷く、橋も破壊されたものがあって、迂回させられたこともしばしばあった。どこへ行っても人間の多いのには全く閉口した。珍し気に寄ってくるのはいいが、服装は汚く、皮膚病患者が実に多い。また子供は大抵マラリアにかかっているため、腹部が甚だしく張ったのが多い。それでも友軍の行動にはよく協力してくれた。例えば、迂回道路がぬかるみで困っていると、鉈を持ってきて山の木を切り出して敷いたり、昼食の時は椰子の実や水をサービスしてくれたりした。

ある部落で小休止していると、突如飛行機が低空で通った。ふっと見上げると、日の丸でなく、二重丸の英軍機だった。始めて見る敵機にすっかり狼狽して、頼りにもならない家の軒下に隠れたりしたが、幸いそのまま通り過ぎていった。またあるときは、大通りから少し外れたところで、給水訓練(実戦中に訓練とは変に聞こえるが、実際にそんな暢気な進撃ぶりだった。)を兼ねて、水浴と洗濯をやっていると、綺麗な川の流れとばかり思っていたのに、ちょっとした淀みを見ると、黄色い人糞の塊がプカプカ浮いている。よく注意してみると、そんなものは無数に次々と流れているのには全く肝を潰してしまった。後で分かったことだが、この土地では、みんな川や沼の中に尻を浸して糞をするのだ。そのくせ、その同じ川で洗濯をし、体を洗い、口をそそいでいるのだ。全く不衛生極まる話だが、昔からの習慣であれば、当たり前のことで、当人たちは一向に平気らしい。

またある時は、土地の男が手招きで、オランダ兵がやってくると知らせたので、その真偽を確かめてもみず、大慌てに車両をまとめて逃げ出したこともあった。