大東亜戦争従軍記

祖父の従軍記

マライからビルマへ(五)

この演習中に、将校との連絡にトラックで出かけたことがあった。帰路、二十九連隊の若い将校二人が便乗を申し込んできた。その便乗者が奢るとも言わないのに途中で酒場の前に車を止め、奢ってもらうつもりでウイスキーを注文したりして飲み始めた。すると先方も、この呑兵衛どもと付き合ったら、大変なことになると思ったのか、自分等の分だけ支払ってさっと出てしまった。さあそうなると誰も金を持っていないから、支払いが出来ないということになった。俺はそのくらいの金は持っていたが、相棒の諸橋、窪田、鎌田などあまりに柄の悪いやり口に嫌気がさして出す気にならず、持っていないと言い張った。このことが憲兵隊へでも通報されるとまずいということになって、そこから遠くないところに宿営していた森川中尉のところへ行って泣きついて金を出してもらい、やっと支払った。ところがこれが将校に対する礼を失したものとして後で問題になり、どうやら処罰だけは免れたが、以後三回くらい外出をとめられてしまった。

その店を出た時はすっかり夜になっていたが、一杯飲んだ勢いでまた他の飲み屋へ入った。そこに先客の若い女がいて、我々のそばに来て盛んにモーションをかけてくるので、これは面白いと窪田、大塚などが手を出すと、なすに任せている様子、いよいよこれはものになるらしいということになり、店を出るとき合図したら付いて来た。そして自動車に載せて街外れへ出てみんなで遊んだが、誰も金を払わなかった。もしあの時その女に騒ぎ出されたらどんなことになったか、まったく冷や汗が出る。幸いにも?女は不平も言わずに帰ったが、やはり天罰は間も無く下った。

いくらも走らないうちに自動車がエンコしてしまったのだ。さすがに鎌田運転手はベテランだった。その原因をすぐに発見して、用意してあったファンベルトを取り替えにかかったが、何しろ真っ暗な原っぱの真ん中だったので照明は無く、持参のライターの火を頼りにしているものだから作業は思うにまかせず焦ってしまった。そのところへ日本人ハイヤーが通りかかってライトで照らしてくれたが、諸橋が酔っ払っていて、下手なお世辞を言ったりしたからその邦人も愛想をつかし、作業の終わるのを待たずに行ってしまった。占領地帯とはいえ、抗日ゲリラも出没するといわれている真夜中の出来事だったから、まったく無事だったことが奇跡だった。もう夜明けも近い頃やっと宿営地へ戻ったら、部隊全員が大心配していた。

またある日曜日の外出、井上上等兵が泥酔して街中の通路上に寝ていたところを、師団司令部の乗用車に拾われて部隊に送り届けられた。彼は再々の帰営遅刻で遂に営倉処分を喰った。野上上等兵なども営倉を喰った。この駐屯生活は、はめを外した出来事が多く起こった。