ルソン島転進(二)
港内にいるとき、ニューギニア方面に行く大型輸送船とすれ違った。その船には兵隊が満載されていたが、あの敵機の跳梁する南海の島へ追いやられる同胞に対して、手を合わせたい気持ちで見送った。更に一週間ほど退屈で不安な航海が続いた。あるときは、敵船あらわるの警報に船内は大騒ぎとなり、救命胴衣を着けるやら、装具を整理するやら大変だったが、鯨の誤認と分かり、大笑いの一幕もあった。いよいよ明朝マニラ湾に入港という夜は、もっとも危険な海域とあって、全員非常体制で警戒に当たったが、幸いに何事もなく、夜明けと同時に船団は一斉にマニラ湾に入り、横隊形となって進んだ。
初めて見るコレヒドール島は、かつての激戦を思わせる生々しい砲弾の跡や、痛々しい米軍施設も見られた。波打ち際には、乗り上げた舟艇や輸送船の赤い腹も見えていたが、マニラ湾はまったくも無傷で、紅い灯、青い灯がともって、まったく別世界だ。半年以上も電灯もない暗黒世界に暮らしてきた後だけに、一層その印象は鮮烈だった。
入港した翌日には上陸を開始したが、街には商品が豊富にあり、人々の服装は華やかで、どこに戦争があるのかと思うほどだった。一方では、日本軍人の姿がすごく多く目に付いたのと米軍の捕虜が素裸身に越中褌を締め、バクバクの靴を履いて、埠頭で荷役をさせられている姿が目に入った。やはり今は戦争中であるということを、いやというほど身近に感じられた。
かつて支配者としての優位にあったことから、人を人とも思わなかったであろう米人が、現地人と同じ皮膚の色をした日本人に馬同様にこき使われているのだから、さぞや悔しかろうと思われるのだが、本人たちの顔をを見るとそんな感じはまったくといっていいほどなく、極めて朗らかに立ち働いていた。もうすっかり諦めているのか、あるいは必ず米国が勝つという将来を確信しているのか、又は民族そのものの楽天的性格からきているのか、そのいずれも含んでいるのかもしれない。