大東亜戦争従軍記

祖父の従軍記

雲南作戦(七)

輜重部隊の給水活動は、近くの小川から汲んだあまり清潔ともいえない水に、砂糖とウイスキーを少量入れて、一斗入りの水嚢に注水し、これを背負って兵隊が、五、六人一組で、下士官か兵長を長とし、夜間味方陣地に忍び寄り、壕内の兵隊の水筒に水を入れてやるわけだ。俺は三回ほど出た。あるときは横尾兵長を長として、三つ目の山の頂上陣地まで行った。山と山を繋ぐ堀を通って真っ暗な山へ入っていくわけだが、至る所に死体があって、それに躓いたり、踏みつけたり、死臭はといえば鼻をつき、なんともいえない鬼気迫るものだった。やっと山頂に達し、一人ひとりの水筒に満たして回った。だが、そこにも負傷して怯えている兵隊があっちこっちにいたし、何とも手の下しようが無いと呆然として語る軍医の顔も見られた。事実一人づつやっと這い上がってきたこの陣地から、負傷で動けないものをおろすことは、不可能に近いことなのだ。その帰りに、迫撃砲の至近弾を食らって、爆風を顔に受け、ひっくり返る目にあったが、幸いに傷を負った者も無く、逃げ帰った。

またあるときは、友軍守備部隊の既に撤退した龍陵の倉庫から、乾パンや糠味噌を夜間運び出す使役に借り出された。鼻をつままれてもわからないほど真っ暗な泥んこ道を通って、荷物を運ぶ苦労は、並大抵でなく、何度も転がって全身泥まみれになって、やっと公道上で待つ輜重隊の自動車に積み込む。一人三回づつとなっていたのを一回でやめて逃げ帰ってしまった。それが自分だけの横着で辞めたのではなく、班長の命令で逃げるのだから面白いものだ。山頂の陣地で敵と相対し、砲台にさらされている戦闘部隊の連中、ことさらに負傷して動けず、泣いている同胞のことを思えば、こんな怠慢はとても許されないわけだが、戦場とは、そんな殊勝な考えなど吹き飛ばすほどに惨憺たるものなのだ。その翌日もまた、荷役を命ぜられたが、体が悪いといって断ってしまった。この使役でも、敵の流弾に当たって星野という初年兵が死んだ。

ラングーンから苦労して連れてきた馬は、何の役にも立たなかった。村はずれの草地につなぎっぱなしにして水もろくろく与えなかったので、とうとう俺の馬は疝痛(センツウ)を起こして死んでしまった。わずかの間だったが、自分で扱っていた馬に死なれたときは思わず泣けてしまった。自分の怠慢から、この物言わぬ戦友を殺したという良心の呵責に数日間悩まされた。