雲南作戦(二)

 ここラシヲの街は、ビルマの北端に近い所で気候は良く、周囲を山に囲まれた盆地で、郷里魚沼盆地とよく似た地形だった。村外れから「岩山」、「酒郷」方面の山を見る景色に良く似ていて、ひとしお懐かしかった。しかし、街には殆ど人影も無く、日本軍が所々に駐留しているだけだが、その廃墟に対して昼間から英軍機が銃撃を浴びせてきた。村外れにある日本軍飛行機上にはもはや一機の飛行機も見えない。ここで、後続の駐留部隊の到着を待って、いよいよ山また山の雲南省へ向かって行軍を開始した。行けども行けども山ばかり、人家も耕地も殆ど見られない。雨は降り出したら、天が破れた様な土砂降りで、体という体全部がぐしょぐしょになってしまった。息は一層消沈して、休養と慰安が待っているという普通の演習だったら張り合いもあるのだろうが、敵が砲門を置いて待ち構えているというのでは、誰だって足が重くなるわけだ。山中の小休止に何とかして火を燃やそうと苦心するが、朽木も葉もすっかり濡れきっているので煙も出ない。何でもよいから雨の落ちないところで休みたいと願っても、掘立小屋さえないのだ。

 こんな惨憺たる行軍を続けて、やがてビルマと支那の国境の街「椀鎮」に着いた。こことても、住民は殆どどこかへ逃げてしまってガランとしていた。ただ殺風景な日本軍の人馬がひしめき合っているだけだ。さらに進んで「芳市」という街へ来た。ここもまったくの無人外だが、どこからとも無く支那人の女が、内地と同じ笹の葉に包んだ餅を持ってきて、塩や薬品と物交していく。しかし、ここまで来ては、とても余分に塩など持っているものは無く、茶もろくに無いから恨めしく見送るだけだった。

 ここでは学校の様な建物に宿営したが、翌朝未明に「敵襲!」の非常呼集がかかったが、何もなすことが無く、右往左往している間に、彼我の機関銃の打ち合いが鈍く聞こえただけで敵は退散してしまった。かねて覚悟してきたのだが、やはり敵が目の前にいることを知らされたこの事件は、誰もが青ざめた思いだったに違いない。

 こんな山の中の廃墟にも内地人や朝鮮人の慰安婦がかなりいて、この敵襲騒ぎで壕へ逃げ込む姿を見て、また別な驚きを感じた。この女たちも最後の一人まで兵隊と一緒になって敵と交戦し、散っていったという話を後で聞き、憐れの情を催したが、その真偽の程は分からない。この先に尚、龍陵、羅孟、騰越など、日本軍の占領している街があったが、既に重慶軍に退路を立たれて孤立していた。羅孟までは到底行けようもなく、玉砕を見送るしかないという悲しい状況にあった。

雲南作戦(二)」への1件のフィードバック

  1. 通りすがり

    地名についてですが、
    芳市は芒市のことかと思います。

    また、騰越は現在は騰冲と名前を変えています。

    返信

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