その日の夕方には代わりの機関車が迎えに来て、うまくそこを切り抜けることはできたが、その先では、鉄橋が落とされていて渡れないので、川向こうまで行軍ということになった。やっと走り出したと思ったら、今度はシッタン川の鉄橋が爆撃でやられて渡れない。それで仕方なく列車から着物や馬を下ろして行軍となった。やはり、昼はジャングル内の部落に隠れて夜だけ歩くのだが、雨の心配は無く、この辺りには、地上の敵は全然いないことが分かったので、みんな馬の手綱を伸ばして、鼻歌混じりで、至極のんびりした旅をした。
シッタンの渡河は、友軍船舶兵の渡し舟で、人馬車両まで輸送するから、大勢の現地人を使って、賑やかにやった。ここでも男女とも、物を頭に載せて運ぶのだが、男が四人がかりで女の頭に大きな荷物を載せてやるとこれを軽々と運ぶ。これには驚いた。
この作業の真っ最中に、敵機の来週で大慌てだったが、タイや仏印あたりの遠距離爆撃の帰りらしく、高高度の編隊のまま通過したので助かった。川を渡ったらまた、列車に乗せられてビルマ東部の大河サルライン河まで行き、ここでまた列車を捨てて渡し舟に乗り、モールメンにでた。この辺りはビルマの玄関口に当たり、鉄道と海上の両面からの補給基地なので、ごった返していた。渡し舟は筏をポンポン船に引かせていくが、こんなところに一機でも敵機が来襲したら、どんなことになるのだろうと、まったく尻がむずむずする思いだった。ここでも幸運にも敵襲を受けることなく、ひとまず安全地帯へ後退した感じでホッとした。ここからは日本軍の敷いた鉄道で、機関車も貨車も日本製なので、まるで内地へ戻ったような錯覚に陥りそうだった。やはり、昼間は敵機を避けてジャングルに隠れ、夜だけ走り、タイに入るまで二日程かかってしまった。一年前に通ったところを引き上げたが、夜だけしか走らないので、カンチャナブリーの街もどんなだったかさっぱり分からず、夜明けにバンコックの貨物駅へ到着した。ここはまた、ビルマとは違った暑さで、何もかも焼け付きそうだ。その暑くて埃っぽい街を、馬の背にゴタゴタした荷物をくくり付けて進む我々の行列は、まるで避難民のような哀れな姿で、到底軍隊などとはいえないものだった。
バンコックの町は、戦禍に荒らされた跡は殆ど無く、商品なども案外豊富にあったが、何しろビルマから来たばかりでは金も使えず、物交するほどの物も持っていないので、どうすることもできず、店頭に並んだ果物やお菓子を恨めしげに横目でにらんで通るだけだった。市内の空兵舎に一旦落ち着いたが、じきに模様が変わって、市街地から、かなり離れたニッパ椰子の仮兵舎に草履を脱いだ。この辺りは民家もあまり無く、まったく何の楽しみも無い生活だった。そのうえ、夜になると決まってバンコック市内の鉄道工場や港に対する敵の空襲があり、その都度馬を引き出して、兵舎からかなり離れた原っぱに逃げた。幸いここでも、直接空襲を受けたことは無かったが、そう遠くないところにある鉄道工場は、毎夜のようにやられ、超低空から焼夷弾を落としていく敵機の鈍い銀色の胴体は、不気味に見えた。