帰国葛城丸乗船(一)

昭和二十一年四月もすぎたころ、突然帰国が実現することになり、部隊はサンジャ港ちかくの仮兵舎に集結を命ぜられた。もうすっかり諦めてたこともあった懐かしの故国へ帰れるというので、誰もかれも浮き浮きしていた。一つ心配なのは、各人の持ち物を検査する段になって、掠奪品と認められるものは取り上げられるばかりか、その所属部隊の乗船も止められるといわれたことだった。自分もしても、一つでも多く内地へ持ち帰りたいし、見つかったら大変だしと迷ったあげく、それまで大切に持っていたスケッチブック二冊、写真数枚、革ランドセル兼背嚢なども涙を飲んで焼いてしまった。しかし、衛生材料なら持ち帰れるというわけで、部隊で手持ちの包帯、ガーゼ、外用などを各人に分配した。ところが、他の部隊(野戦病院など)で、余った衛生材料を敵に渡すのは癪だからと、大量にあるものを焼き払ったことが敵さんに分かり、衛生材料といえども軍用品はひと品も持ち帰りまかりならんとされて、全部またとりかえされてしまった。

いよいよ乗船のときが迫り、船は元航空の艦の葛城丸に決まったとの発表を聞いて、みんなトキの声を上げて喜んだ。これで本当に故国へ帰るれる、そして可愛いい妻子に会えるというだけで心がわくわくした。内地の状況はどうなっているのか、住宅は、食糧は、仕事は、何もかも想像もできないほど困っているかもしれないのだが、しかし、そんなことはどうでもいいような気がした。とにかく故国へ帰るのだという一事だけが我々を有頂天にさせた。乗船地は、サンジャックという、ただ船が入れるだけの入り江で、桟橋も、倉庫もないような、港とは名ばかりのものだった。しかし、かっては日本軍の補給基地だったので、輸送船が数隻、赤錆た船腹を見せて沈没していた。憧れの帰国船葛城は、遥か沖合に雄姿を横たえていた。ハシケに乗る前に、海岸の砂原で各人の持ち物全部を天幕に並べて、英軍将校の検査を受けたが、それは実に形式的で、一寸見ただけで全部オーケーだった。こんなことなら、あれもこれも棄てるんじゃなかったと悔やまれたが、後の祭だった。それでも、毛布一枚、天幕一枚、夏衣袴ひと組、現地の刻み煙草、米など決構大きな「リック」に一杯あった。

やがてはハシケに乗り込む番がきた。乗った!さらば!仏印の地よ。悠久の歴史を秘めて流れるメコンの流れ、虎がいるというカンボジァの平原。小パリといわれる美しいサイゴンの町。すべて再び訪れることはあるまい永久の別れだ。想えば故国、宇品港出港以来幾度か繰り返した船出だが、おそらくこれが最後だろうという感傷も手伝って、何かしら、寂しい気持ちだった。

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