帰国葛城丸乗船(二)

葛城丸は、新鋭空母として、就航後まもなく空襲を受けて飛行甲板をやられてしまったとか、悲運の巨船だそうだが、近づいて見ると、その堂々たる雄姿は見上げるばかりで、船内へ入って更にその巨大さに驚いた。三段に仕切られた兵員収容室は、飛行機の格納庫だったというが、各階一千人を収容できるという広さで、向う側まで見通せないほどだ。甲板は大きく隆起して、小山のように無様な姿となっていたが、その広さにも一驚した。その周囲に無数にあったであろう機銃はすべて取り外され、ただ丸いベランダ風の座席だけが残っていた。更に内部へ入って見ると、大小の部屋が無数にあって、うっかりすると迷子になりそうだ。その中の一室に、内地の主な都市の罹災状況が地図によって示されていた。それによって初めて、ひどい空襲の被害が分かり、慄然とした。

大東京を始め、全国の主な都市はほとんど全滅で、八王子市もわずかに周辺が残っただけで、まる焼けになってしまったことが分かった。妻子は故郷へ帰しておいたから、無事だったと想うが、職場の方はどうなったのだろうか、果たして元の職に返れるだろうか、もし何もかもメチャクチャになっていたとしたら、一体これからどうして生活していけるだろうか、新たな不安が黒雲のように襲いかかってきた。かてて加えて、乗船以来食事の量があまりに少なく、到底満腹とはほど遠かったから、前途の食糧不足が思いやられて、ここで初めて敗戦の悲哀をしみじみ感じさせられた。

それでも始めの二、三日は、海上は静かで、快適な航海だったが、船が台湾海峡にさしかかったころ、ものすごい暴風圏に入り、この巨船の飛行甲板にまで波しぶきが上がった。しかし、艦内にいると、暴風雨など一向に感じられない安定さだった。五昼夜走ったころ、左舷に九州の灯を見たときは、更に故国へ帰る喜びが胸に迫った。一方上陸後の身の振り方等について、深刻に心配しだした者がだいぶいた。やがて艦は、富後水道から瀬戸内海に入った。

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